明日が楽しみになる日記

おっちょこちょい、人見知り、小心者のこっこが好奇心だけで世界を旅します。

サンタさんが来なかったクリスマス

今日からは自己紹介もかねて私の小さいころのことを書いてみようと思います。
旅行記を書くのは少し先になりそうなので、もし旅行記を読みたいなと思ってくださっている方がいましたらまた10月以降に覗きに来ていただけたら嬉しく思います(*^^*)。
さて、私は日本海を臨む小さな田舎町に生まれました。今でこそ、いろんな国籍の方が住んでいますが私が子供のころは町に住む外国人は一人だけ。今から考えるとその人が英語圏の方だった可能性はかなり低いのですが、子供たちは町でその方とすれ違うと「はろー」と言っていました笑。
私は音楽の好きな女の子でした。歌うのも、聞くのも、演奏するのもです。でも歌うのが大好きだったことは誰にも言えませんでした。なぜなら当時、私は究極のハスキーボイスで女性の歌う歌はキーが高くてのきなみ歌えなかったのです。初対面の大人たちが「こっこちゃん、ハスキーボイスやね」と言う度になんだかそれが恥ずかしいことのような気がしていました。大人になった今、当時録音した自分の声を聞くとかなりガサガサでとっても可愛いです。(人の声って成長の過程で変わるもので今はかなりキーの高い歌も歌えるようになりました。)
父はとても忙しい人でした。特に私の小さいころまでは国内外の出張に当直にと週の半分は家にいなかったように思います。会うのは平日の朝と、たまの週末だけ。私はある程度大きくなるまで父に対しても人見知りをしていたくらいです。
そんな父に代わって一手に家のことを引き受けていた母もまたとても忙しそうでした。母自身もフルタイムのお仕事をしており、出張もこなしていました。そんな中でも、両親は家族のことをとても大事に考えていたと思います。そんな象徴のひとつがサンタさんです。物心ついたときから今に至るまで、毎年我が家にはサンタさんが来ます。少しユニークなのは、我が家に来るサンタさんはいい子にしていた子供の分だけでなく、両親の分もプレゼントを持ってきてくれるということ。サンタさんからは英語で書かれたメッセージが添えられている年もありました。
そんな我が家には1度だけサンタさんが来なかった年があります。それは私たち家族が父の仕事の都合でオーストラリアに住んでいた年のことでした。
通っていた現地の学校ではオーストラリアのサンタさんはサーフィンでやって来るんだとか、はたまた白いカンガルー(ブーマー)がソリを引くんだとか習ったのにです。
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毎年クリスマスは自宅で母の作ったケーキを食べる決まりになっていましたが、その年はクリスマス休暇に合わせて私たち家族はタスマニアに旅行に出掛けていました。両親からしてみたらそれがその年のクリスマスプレゼントということだったのだろうと今は思います。
でもその時の私はサンタさんが私たちがオーストラリアに引っ越したことを知らなかったんだわと思いとてもがっかりしました。