明日が楽しみになる日記

おっちょこちょい、人見知り、小心者のこっこが好奇心だけで世界を旅します。

パチパチ公園

オーストラリアに家族で住んでいたころ、何よりも私を喜ばせたことは下校すると母が家にいるという生活ができることでした。日本では放課後や母の出張時は祖父母の家に預けられていた私は、遊びに行った先のお友達のおうちにお母さんがいる様子を見ては羨ましく思っていたものです。私が子供の当時からお母さんがフルタイムで働いているのは決して珍しいわけではありませんでしたが、一緒にいる時間が少ないことに加えて私の母はあまり愛情表現の得意なタイプでないこともあって、私はいつもどこか寂しく感じていたのだと思います。
オーストラリアで過ごすことになり母は日本での仕事を休職し、日本での仕事内容に近い職場に研修生という形で通わせてもらうことになりました。私と一緒で人見知り、引っ込み思案の母が海外の職場でどのように過ごしていたのか今から考えるとかなりミステリーです。この頃のことを母に聞いても普段は笑ってかわされてしまうので、いつかしっかり聞いてみたいものです。このような形態で働くことが認められたのは、母の仕事が研究職であったということも大きいと思います。母は私たちの下校時間に合わせて帰宅しており、いつも家に帰ると「お帰り」と迎えてくれました。それは私が日本にいるとき、憧れ続けた生活でした。
私たちの放課後の日課はこうでした。まず、15時ころスクールバスに乗って下校→宿題を片付ける→母の用意してくれたおやつを食べる→近所の公園にお散歩。お友達との約束などがない日は母と兄弟のみんなで近所の公園にお散歩にいくのが私たちの決まりでした。近所の人たちの犬の散歩の時間と重なる時間で、互いにあいさつをしながらお散歩していたことを思い出します。私たちの住んでいるおうちから歩いて行ける公園は2つ、我が家ではそれぞれの公園に名前をつけていました。スクールバスのバス停がある公園を「ポスト公園」、家から比較的近く川沿いにある公園を「パチパチ公園」と呼んでいました。
パチパチ公園の前を流れる川。ウォータースポーツをする人もよく見かけました。
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なぜパチパチ公園と呼んでいたかというと、当時その公園にあった遊具は静電気を起こしやすく遊んでいる最中に手が触れるとパチっと結構強めの静電気が起こったからです(^-^;。静電気は苦手でしたが、私はポスト公園よりもなぜかパチパチ公園が好きで「今日はどっちにしようか」と聞いてもらえるときは決まってパチパチ公園と答えていました。
こちらは現在のパチパチ公園の様子。遊具は私が通っていたころとは変わっていてあまりパチパチしなさそうでしたが、私の記憶の中の印象そのままでした。
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パチパチ公園には家族全員で週末にも行きました。無料で使わせてもらえるバーベキューコンロが設置されていたからです。日本だと予約なしで、しかも無料でバーベキューができる施設はほとんどないのではないでしょうか。バーベキューコンロがあるのは今も変わりません。私が訪れたこの日もバーベーキューに来ている家族がいました。
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オーストラリアで過ごした1年間、それまで過ごしてきた人生の中で一番家族と時間を共にした1年だったように思います。そして、パチパチ公園は家族との思い出がつまっている特別な場所です。