明日が楽しみになる日記

おっちょこちょい、人見知り、小心者のこっこが好奇心だけで世界を旅します。

複数のコミュニティに属すること

月曜日から金曜日は現地の公立の小学校に通っていた私ですが、土曜日は日本人学校に通っていました。1年で帰国することはオーストラリアに引っ越した当初から決まっており、帰国後日本の勉強についていけなくなることを両親は心配していました。

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日本人学校のクラスは合計8名ほどのこじんまりしたクラスでした。転入してすぐ、さっちゃんとゆうこちゃんという双子の姉妹が優しく仲間に迎え入れてくれました。たった1年の滞在だった私とは異なり、クラスメイトはオーストラリアに移ってきて数年が経つメンバーばかりでした。先生は若い女性の先生で、私は先生のことも大好きでした。基本的には国語と算数を習いますが、家庭科の授業と称してお裁縫をやったこともありましたし、放課後に先生がみんなにアイスキャンディをふるまってくれたこともありました。そういえば、同じクラスメイトのくろうど君(なんてオシャレな名前なんだ!)に淡い恋心を抱いていたような気もしますね(^-^)。日本人学校は私にとっては、安心して自分らしく過ごせる場所でした。

というのも、普段通っている現地の公立小学校では私の心を暗くする出来事がおきていたからでした。それは、同じクラスメイトの日本人の女の子からイジメを受けていたことです。人生で初めて向けられるはっきりとした敵意に私の心は傷つきました。数少ない日本人同士ということで親同士も交流があり、週末を一緒に過ごすこともありました。仲良くしているものと思っている親には、とてもイジメを受けていることは言い出せませんでした。それでもオーストラリアに渡って半年がたったある時、ついに親に打ち明けました。それは私のお誕生日会に呼ぶお友達にインビテーションを送る段階のことでした。「あの子はお誕生会に呼びたくない」って。

そのころには英語も少しずつ話せるようになってきて、自分には仲良くしているお友達もできてその日本人の女の子のことをあまり気にしなくても学校生活を送れるようになっていました。オーストラリアの学校は日本の学校とは学年の変わり目が異なるので、日本人学校では同じクラスでないことも私を安心させました。

話は変わりますが、父のお仕事のつながりで日本人のコミュニティにも属していました。週末には、みんなでチャイナタウンでご飯を食べることがよくありました。どうしてチャイナタウンだったのかは謎ですが、慣れない外国での生活。日本料理でなく中華料理でもどこかほっとしていたのかもしれません。そのコミュニティは私よりも少し年齢の低い子供たちが多くいて、私はお姉さんぶって面倒をみていました。

こちらは、今回の滞在中になつかしくて足を運んでみたチャイナタウンの様子。

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現地の学校環境だけでなく、複数のコミュニティに属していられたことは私にとってはとても良い影響があったと思います。